指揮者とテンポ

先ほどNHKのニュースで指揮者のリッカルド・ムーティのインタビュが放送されたが、その中で彼は、「指揮者は作曲家の楽譜に忠実に演奏すべきだ、むやみにテンポなどを変えてはならない」と言っていた。

これを聞いて、昨年秋のNHK交響楽団定期演奏会でオランダの指揮者ベルナルト・ハイテンクが、「指揮者の仕事は作曲家の創った楽譜上に記された音楽を忠実に実現することです。作曲家に比べ指揮者は二流であることを自覚すべきです。作曲家こそが芸術家で指揮者は芸術家ではない。作品を解釈するだけです」と言っていたのを思い出した。これを聞いた時はなんと謙虚な指揮者だろうと思った。多くの長老が昨年から今春に亡くなっている今、現在最長老のハイテンクの言葉には重みがある。

しかしながら、指揮者がみな同じテンポで同じように演奏したらつまらないと思う。それぞれが個性を出すから色々な演奏があって面白いのではないか。

私の大好きな指揮者の1人、セルジュ・チェリビダッケは「音楽の内容が豊になればなるほど、それを再現するにはテンポを遅くすべきである。指揮者の最も重要な仕事は作曲家がその作品の中で表現しようとしているメッセージを正しく組織し作品を構築することにある。又それを表現するには録音では言い表せない。演奏会でのみ表現できる」と,常々言っていた。彼は録音嫌いで有名でカラヤンと同世代だが演奏会に行けない我々には幻の指揮者と言われていた。

彼の死後、多くの演奏会のライブ録音がCDで発売され、ようやく耳にすることができるようになった。彼のCDを聴くと本当にテンポが遅い。それも晩年になればなるほど遅くなっている。作曲家が意図したテンポとは違うと思うが、私にはそのテンポに非常に感銘を受ける。ちなみにチャイコフスキーの交響曲第5番を聴くと第4楽章では多くの指揮者がクライマックスに向かってテンポを上げていくが、チェリビダッケは最後の最後まで手綱を締めてテンポを上げない。むしろだんだん遅くなっていく。聴衆は感動に震えながら演奏に浸っているに違いない。やがて演奏が終わって少し間があいてふと我に返った何人かの聴衆がぱらぱらと拍手をする。そして拍手とブラボーの嵐がコンサートホール全体に響き渡る。ここには曲の終わるのを待ち構えて、立ち上ってブラボーと叫ぶ輩(やから)はいない。このCDの最後に入っている拍手を聞いただけでも、この演奏会の素晴らしさが分かる。こんな演奏会に出会えるなら、いくらお金を払っても惜しくない。この交響曲第5番は全体で55分43秒かかっている。ちなみにデュトワ、モントリオールは46分17秒、アバド、ベルリンフィルは45分54秒、シノーポリ、フィルハーモニヤは45分22秒、ムラビンスキー、レニングラードは43分05秒と、ほとんどの指揮者は45分前後で演奏しているがチェリビダッケのそれは10~12分長い。彼の最晩年のブルックナーの交響曲第8番にいたっては一般的な演奏時間が約80分前後のところ105分もかかっている。

同世代のカラヤンがレコードの販売で自家用ジェット機3機所有し、スポーツカーを乗り回し巨万の富を築いたのに比べて、レコードを音の出るパンケーキと言って嫌い、カラヤンをアメリカのコカコーラと揶揄して自分の生き方を貫いたチェリビダッケに共感を覚える。

これからも多くのCDが発売されることを望んで止まない。

人生黄昏

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チャイコフスキー交響曲第5番 指 チェリビダッケ ミューヘンフイル

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